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最後を迎えるという事
「どのように死を迎えるのだろう・・・」
父の入院中、理不尽だけど私はその事ばかり気にしていた。

父は、まだ自分の可能性を確かめるように立ち上がってみようとした・・・
でも自分の体はもう思うように動かせないほど体力が落ちている事、
それがなによりも本人にとって残酷な現実だった。

父はおいおいと泣いた。

死を自覚し始めていただろう。

そして、頭がボーッとすると言って寝ている事が多くなっていった。
寝ながら顔を歪めて苦しそうにして手で目を覆う・・・涙が流れていた。
「苦しいの?」そう訪ねると、首を横に振り、
「夢を見た・・・夢ばかり見る・・・」言葉をうまくくんでやれなかったけど、
「どこにも行きたくない。」と言うのははっきりとわかった。

意識があった最後の日、
私に何か言おうとしているのだけど聞き取れない。
何度も「何?」と聞き返す私に、
「俺の言ってる事がわからないのか。」と落胆した強い口調で答えた。
その力で言ってくれれば良かったのに・・・それから口を開いてくれなかった。
しゃべっているのに聞き取ってくれない、聞き取ってあげれない、
父にはそれが苦痛だっただろう。

その後眠りについてしまい、会話ができなかった。
夕飯が運ばれてきても目を覚ましてくれない。
母は一生懸命呼びかけてた。
その言葉でやっとこ目を覚ました。

ベッドに身を起こし、
カーテンの向こうを気にして手でめくってみようとしている・・・
「おっぱらって!おっぱらってくれ!」と恐れ、怒っている。
私たちには見えない誰かが来ているようだ。

そして、母がご飯食べる?と聞くとなんとか食事に向かってみた。
玉ねぎの細いのがちょろっとだけ入った不味そうな中華スープ、
ご飯をそこに入れて食べさせようとする母、
私は看護士さんの目の前で塩をその器にパラパラと入れた。
「俺のために料理を作ってくれよ・・・」父は朦朧と言った。
そして、2口、口にすると「固いよ!」そう怒鳴った。

そして、「もういいよ、もういいよ!」って・・・それが最後の言葉になった。

「お父さん、もう寝てもいいよ。」
私が父に言えたのはその言葉だけだった。
「お父さん、ありがとう。」って言う勇気がなかった。


翌朝、父の意識はなくなった。
「今日はもう透析は無理です。」主治医からの電話が入った。
透析ができないと言う事は死が1週間以内に訪れるということ。
意識がなくなった父の手を握り、
「お父さん、みんな来てるからね、心配しなくていいよ。」と声をかけた。
父の手を握ったのは子供の時以来だった。
あったかくてまだ大きかった。
小さくなった背中をさすった。
冷たくなり始めた足をさすった。

看護士が来てタンを吸うために管を入れる・・・
看護士が話しかけ「タンを採るからね〜。」、すると口をすぼめて抵抗した。
無理矢理入れられる管に噛み付いた。
渾身の力を振り絞り、手で看護士の手を払おうとした。
驚いた。父にはちゃんと意識がある。

私たちの言葉にはもう反応してくれないけど、
父には全部状況がわかっていたのだろう。

まさか、その日が最後になるとは・・・
夜がまだ明けない5時前に父の心臓は停まった。
一ヶ月前に入れたペースメーカーは何の役にも立たず、
父の停まったその心臓に虚しくもショックを無駄に与えただけだった。

その晩、父の手は動かないようにベッドにくくられていた。
起き上がろうとしたり暴れたらしい。
父は最後まで死を抵抗していたんだ。

「こんな体になってもここに置いてくれるのかな?」
ずっと父はそう気にしていた。
退院を夢見て頑張ってきたけれど、
もう家に帰る事のできない体を
どこによりどころを見つけてよいのかわからなかったんだろうなぁ。

死というもの、生きるということ。
生きようと思いながらも死を迎えること。

死にゆくとき、父は何の匂いもしなくなった。
何日も歯も磨けてないのに息は乳飲み子のような匂いだった。
加齢臭も口臭もすべて何もなくなった。
醜い皮膚のできものもすべて消えた。
人は死にゆく時、生まれた時のようになるのだなぁ。

白装束に身を包み、旅の支度を終えて、
たくさんの花に囲まれた父の姿は神々しかった。
葬儀のしきたり、なんて美しい文化だろう。


最後を迎えるという事_b0129115_2224733.jpg

父が亡くなってからこの一ヶ月、
何人もの方が弔いの言葉やメールをくださり、
お花を手向けてくださいました。
ここへのコメントもお返事もせずに時を過ごしてしまい失礼を致しました。
この場をかりて、お礼を申し上げます。
心より感謝しております。
ありがとうございました。

先週、アトリエへお越しくださったお客様が
父の写真を眺めていらしたので、
「父の写真です。」とお話しすると、
「お父さんが大好きなのですか?」とその30代の男性が聞きました。
「いえ、父が先月亡くなったものですから・・・」と答えると、
写真の前で正座してくださいました。

はじめてお会いした方、一度しかお会いしてない方、
父の顔を知らない方までもが、
弔いの気持ちを寄せてくださるというその清さに胸を打たれます。

生きている事、生かされている事、ありがたいことです。
by cotomotoca | 2010-11-18 22:05 | おもうこと
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